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青森地方裁判所 昭和35年(ワ)22号 判決

原告 樋口京子

被告 樋口みつ野

主文

被告は原告に対し、別紙〈省略〉第一目録記載の各不動産に対しなされた青森地方法務局尾上出張所昭和三四年一二月一日受付第一九二四号の所有権移転登記につき、右各不動産が原告一、被告二〇の割合で原告と被告の共有に属する旨の各更正登記手続をせよ。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その四を原告の、その余を被告の負担とする。

事実

一  当事者双方の求める裁判

(一)  原告

1  主位的請求

被告は原告に対し、別紙第一目録記載の不動産(以下「本件不動産」という。)に対する青森地方法務局尾上出張所昭和三四年一二月一日受付第一九二四号の同日付贈与を原因とする所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。

訴訟費用は被告の負担とする。

2  予備的請求

被告は原告に対し、本件不動産に対する右所有権移転登記につき、持分二八九分の一〇〇の限度での抹消登記手続もしくは原告が右割合による共有持分権を有する旨の更正登記手続をせよ。

訴訟費用は被告の負担とする。

(二)  被告

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

二  原告の主張

(一)  主位的請求について。

1  原告は、昭和三四年六月一二日亡樋口ヨシの養子となつたが、その経緯は次のとおりである。

すなわち、原告の両親樋口綱吉夫婦は、昭和二〇年三月樋口ヨシの要請により、同女と同居し、以来農業に従事して同女の世話をしてきたが、そのため同女は、昭和二四年九月二八日同所で出生した原告をはやくから同女の養子にしてその遺産を原告に承継させようと予定しており、昭和三四年三月青森家庭裁判所弘前支部に養子縁組の許可申請をなしてその許可を得たうえ、同年六月一二日右届出を了したものである。

2  しかるに、本件不動産は、もとヨシの所有に属していたが、同女は昭和三四年一二月二三日死亡したので、その相続人である原告、訴外竹内麗子(ヨシの長男彦衛と被告の間に出生し、彦衛の死亡により代襲相続人となる。)および同久塚久子(ヨシの長女チエと藤川紋太郎間に出生し、チエの死亡により代襲相続人となる。)の三名の共有となつた。

3  ところで、本件不動産については青森地方法務局尾上出張所昭和三四年一二月一日受付第一九二四号の同日付贈与を原因としヨシから被告に所有権移転登記が経由されているが、右贈与はヨシの意思に基づかないものであるので、原告は、本件不動産に対する共有持分権に基づいて被告に対し右登記の抹消を求める。

(二)  予備的請求について。

1  かりに、前記贈与が有効なものであるとしても、これは本件不動産のうち二八九分の一〇〇の割合において原告の遺留分を侵害するものである。

すなわち、ヨシの相続人は原告のほか前記のとおり訴外竹内麗子および同久塚久子の三名であり、したがつて原告の相続分は三分の一であるから六分の一の割合による遺留分権を有するところ、遺留分算定の基礎となる物件は本件不動産のほか昭和三四年八月一二日ヨシから綱吉に贈与され、同年一一月一日その所有権が同人に移転した別紙第二目録記載の一四筆の農地およびヨシから綱吉さらに訴外樋口よしゑに贈与された別紙第三目録記載の農地がある。

しかして、尾上町長の不動産評価証明によれば、本件不動産は宅地、家屋を併わせて金一〇〇万二、四〇〇円であり、また別紙第三目録記載の農地は金三、六二八円であり、別紙第二目録記載の各農地については同目録記載のとおりであつて、遺留分算定の基礎となる財産物件の評価額は合計金二〇八万六、〇四九円となるから、これに対する原告の遺留分額はその六分の一の金三四万七、六七四円となる。

ところで、ヨシが所有していた財産は右のようにすべて生前贈与がなされ分割すべき相続財産はないし、また原告は何らヨシから贈与を受けていないから、原告はその遺留分額全額が侵害されたものであるところ、被告に対する本件不動産の贈与は前記各贈与のうち最後のものであるから、まずこれより減殺すべきものである。

よつて、本件不動産の評価額金一〇〇万二、四〇〇円のうち原告の遺留分額金三四万七、六七四円の部分すなわち本件不動産のうち二八九分の一〇〇の割合が原告の遺留分減殺請求により取り消されるべきである。

2  そこで、原告は、被告に対し昭和三六年一一月二九日付準備書面をもつて、右贈与の減殺請求の意思表示をなしたので、被告は原告に対し、予備的請求の趣旨記載のとおりの抹消もしくは更正登記手続をする義務がある。

3  被告は、原告の遺留分減殺請求権が時効により消滅した旨主張するが、しかしながら原告は第一次的に被告に対する本件贈与の存否を争つているもので、これを争点として本件訴訟が進行しているのであるところ、かかる場合においては一年間の短期消滅時効の期間は贈与の事実が確定されるまで進行しないものと解すべきであり、のみならず原告は未成年者で、その養母たるヨシの死亡により法定代理人が存在しなくなつたものであるから、後見人が選任せられるまでは遺留分減殺請求権の行使ができず右時点まで消滅時効期間は進行しないものであるところ、原告に対し後見人が選任されたのは昭和三六年三月三一日であり、したがつて同日から一年間の消滅時効期間は進行するものであるから、時効は完成していないので、いずれにしても被告の消滅時効の主張は理由がない。

三  被告の主張

(一)  原告の主位的請求について。

原告主張事実のうち、その主張の養子縁組届出がなされていること、訴外樋口ヨシがその主張の日時に死亡したこと、訴外竹内麗子および同久塚久子がヨシの相続人(代襲相続人)であること、本件不動産はもとヨシの所有に属していたこと並びに本件不動産につきその主張のように被告に所有権移転登記が経由されていることはいずれも認めるが、その余の事実は否認する。

すなわち、原告とヨシの養子縁組はヨシの意思に基づかない無効のものであるし、またヨシは昭和三四年一一月二二日本件不動産をその意思に基づいて被告に贈与したもので右贈与は有効なものであるから、本件不動産は被告の所有に属する。

(二)  原告の予備的請求について。

1  訴外竹内麗子および同久塚久子がヨシと原告主張のような身分関係を有し、前記のとおり同人の相続人であることは認める。

2  遺留分額算定の基礎となる財産は、本件不動産のほか別紙第二目録の番号一ないし同七、同九、同一二ないし同一四の各農地、別紙第三目録記載の農地および別紙第四目録記載の農地が含まれている。

ところで、別紙第二目録記載の各農地のうち番号一二ないし同一四の各農地がヨシから樋口綱吉に贈与されたことは原告主張のとおりであるが、その日時は本件不動産が被告に贈与された後である昭和三四年一一月二六日であり、さらに同目録記載の番号一ないし同七および同九の各農地は綱吉に贈与されたものではなく、番号一ないし同四の各土地について経由されている同人名義への所有権移転登記はいずれも同人がヨシの承諾を得ないで勝手に手続を了したものである。

また、別紙第三目録記載の農地は昭和三四年一一月二六日ヨシから樋口よしゑに贈与されたものである。

したがつて、原告の遺留分が侵害されているものとしても原告は、被告に対する本件不動産の贈与より時期的に遅れてなされた右綱吉およびよしゑに対する各贈与からまず減殺すべき筋合である。

3  なお、ヨシが死亡したのは昭和三四年一二月二三日であるから、原告は同日相続の開始および本件不動産が被告に贈与されたことを知つたものというべく、したがつて同日から一年間を経過した時点において原告の遺留分減殺請求権は時効により消滅したものであるから、それ以後になされた原告の減殺請求の意思表示は無効のものである。

四  証拠関係〈省略〉

理由

一  本件不動産はもと訴外樋口ヨシの所有であつたところ、昭和三四年一二月一日ヨシから被告に贈与を原因として青森地方法務局尾上出張所同日受付第一九二四号の所有権移転登記が経由されていること、同年六月一二日ヨシが原告を養子とする旨の養子縁組の届出が了されていること、並びにヨシが同年一二月二三日死亡したことはいずれも当事者間に争いがない。

二  ところで、被告は、右養子縁組はヨシの意思に基づかない無効のものである旨主張するので、まずこの点について検討する。

成立に争いのない甲第七号証の一ないし三、証人三国勘七、同樋口イソ、同樋口弥作、同樋口長一、同松井良平および同野呂鉄弥の各証言並びに原告法定代理人樋口綱吉尋問の結果(第一、二回)を併わせると、ヨシははやくからその夫誠作および子女と死別して原告肩書住居地に居住していたが、昭和二〇年頃から原告の両親樋口綱吉夫婦がヨシと同居して家業である農業に従事し、ヨシの面倒を見てきたこと、一方被告はヨシの長男亡彦衛の妻で同人との間に長女麗子を儲けていたが、昭和八年頃に夫が死亡してからは婚家を去つてヨシと別居していたこと、ヨシは当初右麗子に婿をとり一家の跡を継いでもらう予定でいたが、同女は昭和三〇年頃ヨシの意向に反して他家に嫁に行つてしまつたこと、そこでヨシは被告も青森市に居住して帰つてくる気配もないところから、昭和三四年三月上旬頃親類関係にある訴外樋口弥作、同樋口長一および被告の実兄松井良平らを呼び寄せて自己の後継者につき相談し、その結果綱吉夫婦の子でともに同居生活を送つてきた原告を養子とすることとし、綱吉夫婦も異議なく承諾したこと、かくして同月二五日綱吉夫婦は青森家庭裁判所弘前支部に右養子縁組の許可申請をなして、同月三〇日右許可を得たことがそれぞれ認められ、右認定を左右し得るに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、右養子縁組はヨシの意思に基づいてなされた有効なものであるから、被告のこの点の主張は理由がない。

そこで、被告に対する本件不動産の贈与がヨシの意思に基づくものであるか否かにつき考察する。

成立に争いのない甲第一号証の一、三、同第四号証の一、同第五号証、同第八号証の一、二(但し、ヨシ作成部分を除く。)、乙第一号証、同第六号証の一、成立に争いはなく取寄せの結果から原本の存在が認められる同第六号証の二、証人斎藤正雄、同津幡実、同野呂鉄弥および同樋口長一の各証言(但し、証人斎藤については第一、二回)、被告本人尋問の結果(第一、二回)、鑑定人小舘衷一の鑑定の結果、以上の各証言および各結果と前記甲第六号証の二により真正に成立したものと認められる甲第一号証の二、四、同第三号証、同第四号証の二、乙第二号証、同第三号証および同第五号証ならびに同第七号証の一、二の記載に弁論の全趣旨を併わせると、樋口ヨシは昭和三四年頃本件不動産のほかに別紙第二ないし第四記載の各農地を所有していたが、同年六月頃から胃癌のため弘前市内の病院に入院したこと、そこで同女の老後も長くはないと考えた綱吉は、同女の了解を得ることなく、同女から預り保管していた印鑑を利用して、同女から別紙第二目録記載の各農地を同年一一月一日付で無償贈与される予定である旨の事由を付した農地法第三条による許可申請書を作成し、同年八月一二日これを尾上町農業委員会に提出し、同委員会は同年九月二六日許可相当の意見を付した結果、青森県知事は同年一〇月二七日右申請を許可したこと、そこで綱吉は同年一一月一七日同目録記載の農地のうち番号一ないし四、同一二ないし同一四の各農地につき、同人名義に所有権移転登記手続を了したこと、ところで、ヨシは、同年一〇月二〇日頃から青森市大字大野字長島三番地所在の青森県立中央病院に入院していたが、まもなく右のような綱吉の措置を伝え聞いて激怒し、被告にその所有財産の大部分を承継させることとし、前記農業委員会の会長である斎藤正雄にその旨の処分を委任するに至つたので、同人はヨシの要請に従がい、同年一一月中頃綱吉方に赴いて同人が保管しているヨシの印鑑の交付を求めたが、綱吉がこれに応じないところからヨシの了解のもとに同月二五日同女の改印届を了したこと、そして同月二六日には、同女は前記病院内で、斎藤および身内の樋口長一ら立会いのうえ、別紙第二目録記載の番号一二ないし同一四の農地を綱吉に、別紙第三目録記載の農地を訴外樋口よしゑに、そして本件不動産を含めた残り全財産を被告にそれぞれ贈与する旨並びに原告を離縁する旨の覚書(乙第二号証)を作成したこと、かくして同年一二月一日斎藤は、ヨシの意向に従がい、本件不動産を被告に贈与する旨のヨシ名義の贈与証書(乙第五号証)を作成したうえ、その旨の所有権移転登記手続を了したこと、さらにヨシは同月三日同病院内で斎藤ら立会いのうえ、別紙第二目録記載の番号五ないし七、九および別紙第四目録記載の各農地を被告に贈与し、原告との養子縁組を解消する旨の遺言をなし、その旨の遺言公正証書(乙第一号証)が青森地方法務局所属公証人猪狩真泰により作成されたこと、ところで綱吉はその頃斎藤の要求により自己名義に移転登記を了した前記各農地の登記済証(乙第七号証の一、二)を同人に交付したうえ、同月九日頃には同人の要求により別紙第二目録の番号一二ないし一四の各農地は自己がヨシから預つているものである旨の念書(乙第三号証)に署名するに至つたこと、以上の事実がそれぞれ認められ、証人樋口イソ、同三国勘七、同樋口弥作および同今井清栄の各証言並びに原告法定代理人樋口綱吉尋問の結果(第一、二回)中右認定に反する部分はいずれも前掲各証拠に照らし、採用し難く、他に右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、被告に対する本件不動産の贈与はヨシの意思に基づく有効なものであるというべきであるから、右贈与の無効を前提とする原告の主位的請求は失当である。

四  次に、前記認定の諸事実に立脚しつつ原告の予備的請求の当否につき判断する。

(一)  まず、原告の遺留分額につき検討する。

原告がヨシの養子であることは前記二認定のとおりである。

なお、ヨシが原告との養子縁組を解消する旨の遺言をなしたことは前記三認定のとおりであるが、しかしながら右遺言により直ちに離縁の効果が発生するものではないから、原告が依然としてヨシの養子たる地位にあることは明らかである。

しかして、ヨシの相続人としては原告のほかにヨシの長男亡彦衛の代襲相続人である訴外竹内麗子およびヨシの長女亡チエの代襲相続人である訴外久塚久子のみであることは当事者間に争いがないから、原告は、民法第一〇二八条、第一〇四四条、第九〇〇条および第九〇一条によりヨシの遺産に対し三分の一の割合による相続分、従つて、六分の一の割合による遺留分権利を有することとなる。

ところで、ヨシが相続開始の時において有した財産および死亡するまでの一年間に贈与した財産は本件不動産のほか別紙第二ないし第四記載の農地のみであることは前記三認定のとおりであり、他に遺留分額を算定するに際し考慮すべき債権債務の存在は認められないところ、成立に争いのない甲第九号証および同第一〇号証により本件不動産は宅地、家屋を併わせて金一〇〇万二、四〇〇円であること、並びに成立に争いのない甲第一一号証によれば別紙第二目録記載の各農地の評価額は同目録記載のとおりであることがそれぞれ認められる。

また、別紙第三目録記載の土地については、同土地と同一地番である別紙第二目録の番号一四の土地の評価額を勘案するとき、原告主張のとおり金三、六二八円であると認めるのが相当であり、さらに別紙第四目録記載の土地については、同土地の付近に所在するものと認められる別紙第二目録の番号九の土地とほぼ坪当り同一価格を有するものと推認するのを相当とするので、これに従がい算出すると金三万二、七七六円となる。

してみると、本件不動産および別紙第二ないし第四目録記載の各農地の合計価格は金二一一万八、八二〇円となるから、原告の遺留分額はその六分の一である金三五万三、一三六円となる。

(二)  次に、進んで原告の右遺留分が侵害されているか否かにつき検討する。

綱吉に対する別紙第二目録記載の各農地の贈与はヨシの真意に基づくものと認め難いことは前記三認定のとおりであるから右贈与の成立は認め難いが、しかしながら、ヨシは昭和三四年一一月一六日乙第二号証を作成する時点において同目録の一二ないし一四の各農地の贈与についてはこれを承認したものであるから、これについてはヨシの追認によつて有効となつたものというべきである。

してみると、右農地については綱吉がすでに青森県知事の許可を得たうえ、同人名義に所有権移転登記を了しているから同人の所有に属し、相続財産に含まれない。

ところで、別紙第三目録記載の農地が訴外樋口よしゑに、また別紙第二目録の番号五ないし七、九および別紙第四目録記載の各農地が被告に、それぞれヨシから贈与または遺贈されたことは前記三認定のとおりであるが、いずれも青森県知事の許可を受けた形跡は本件全証拠によるも窺い得ないから、右贈与および遺贈は何ら効力を生ぜず、したがつて右農地は当然相続財産に含まれるといわざるを得ない。

以上によれば、相続財産としては別紙第二目録の番号一ないし一一、別紙第三および第四目録記載の各農地が存在することが認められ、その評価額合計は金九一万六、四七七円となる。

してみると、原告は遺産の三分の一を相続する権利があるから、右金九一万六、四七七円の三分の一である金三〇万五、四九二円は分割により取得し得る相続利益であるから、これを原告の遺留分額金三五万三、一三六円から控除すると金四万七、六四四円となり、したがつて原告は金四万七、六四四円の限度においてその遺留分額が侵害されていることとなる。

(三)  ところで、被告に対する前記遺贈および訴外樋口よしゑに対する前記贈与は、いずれも青森県知事の許可を受けていないので、その効力が生じていないことは上述のとおりであるから、減殺請求の対象とはなり得ないものと解すべきであるし、また綱吉に対する別紙第二目録の番号一二ないし一四の各農地の贈与は昭和三四年一一月二六日ヨシが追認したことにより遅くとも同日までに成立したものというべきであるから、昭和三四年一二月一日に成立した被告に対する本件不動産の贈与がまず減殺請求の対象となるべきである。

よつて、右贈与は金四万七、六四四円の限度において、すなわち本件不動産の価格は金一〇〇万二、四〇〇円であるから二一分の一の割合において原告の遺留分を侵害していることとなり、右割合において減殺されるべきこととなる。

(四)  そこで、進んで被告の消滅時効の抗弁について判断する。

ヨシが死亡したのは昭和三四年一二月二三日であることは前記一のとおりであるところ、本件記録によれば当時原告はわずか一〇才の未成年者で養母たるヨシの死亡によりその法定代理人が存在しなくなつたこと、ところで原告の実父母である樋口綱吉およびイソは昭和三五年一月二〇日弁護士寺井俊正に本件事件を委任したところ、同年二月二日同弁護士は同月一日付の本件訴状を当裁判所に提出し被告に対し本件贈与がヨシの意思に基づかないものであることを理由として主位的請求を求めたこと、しかしながら当時樋口綱吉夫婦は原告の法定代理人ではなかつたから、あらためて昭和三六年三月三一日綱吉が原告の後見人としての選任命令を受けたうえ、同年四月六日同弁護士に本件事件を委任したこと、以上の事実がそれぞれ明らかである。

ところで、民法第一〇四二条にいう減殺すべき贈与を知つた時とは、単に当該贈与の存在を知るだけでなく、これが遺留分を侵害したことを知り、減殺請求権を行使し得る状態になつたときを意味するものと解すべきところ、原告には昭和三六年三月三一日まで法定代理人が存在していなかつたのであるから、権利の行使は不能もしくは著しく困難であつたものというべく、したがつて、すくなくとも同日までは原告が減殺すべき贈与を知つたものということができないから、一年間の消滅時効期間は進行していないものと解すべきである。

しかして、原告が被告に対し遺留分減殺請求の意思表示をなしたのは昭和三七年一月一二日(本件第一八回口頭弁論期日、昭和三六年一一月二九日付準備書面陳述による。)であることは本件記録に徴し明白であるから、原告の減殺請求権の行使は一年間の消滅時効期間の満了前になされたことは明らかであり、したがつて、被告のこの点の抗弁は理由がない。

五  以上の理由により、原告の本件減殺請求による主張は本件贈与を二一分の一の割合において減殺する限度で効力があるが、本件贈与は包括的に一個の贈与であるから本件各物件につき右割合により共有関係が生ずるというべきであり、従つて、原告の請求のうち被告に対し原告が本件不動産につき二一分の一の割合の共有持分権を有する旨の更正登記手続を求める限度において正当として認容し、その余を棄却することとし、訴訟費用については民事訴訟法第九二条本文および第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 間中彦次 辻忠雄 本田恭一)

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